2010年3月 2日
シルクロードの起点と終点
シルクロードを中国とローマとの間の主要貿易路とするならば、その中国側起点は洛陽(河南省洛陽市)(長安(陝西省西安
市)という説も有力ではあったが、2007年4月に中国政府は洛陽であると認定)であり、その欧州側起点はシリアのアンティ
オキアと定義できる。この名称をリヒトホーフェンとヘディンが使用した意味で理解すれば、この隊商路の主要な路線は次の
3本になる。
敦煌(とんこう)からアルトゥン山脈に沿い、ホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南辺のオアシスを通過してパミー
ル高原に達する南方の交通路 (西域南道)。これが最も古い。砂漠の南を通ることから漠南路とも呼び習わす。
敦煌からトゥルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。この北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開
かれた。天山山脈の北麓を進むことから天山北路とも呼び習わす。
敦煌から楼蘭(ろうらん)を経てコルラに達する中央路は北方路よりも古く、南方路と同じ頃の紀元前2世紀にさかのぼり、
最も重要な隊商路として4世紀前半まで使用されていた。天山南路あるいは漠北路ともいう。
広義のシルクロード、すなわち西トルキスタン(旧・ソ連領中央アジアの一地域)以西の東西隊商路は多数の路線に分岐して
いた。
海のシルクロード
シルクロードという語は中国と関わる貿易路の代名詞のようにもなっており、中国の南から海に乗り出し、東南アジア、イン
ド洋を経てインド、アラビア半島に至る海路のことを「海のシルクロード」と呼ぶこともある。
すでにプトレマイオス朝の時代からエジプトは紅海の港からインドと通商を行っており、エジプトを征服した古代ローマはこ
の貿易路も継承して、南インドにアメリカドゥなどいくつかの商業拠点を築き、絹を求めて中国にまで達したことは中国史書
にも記載されている。古代にはマラッカ海峡はあまり使われず、マレー半島のクラ地峡を横断するルートが多かった。このル
ートでセイロン(獅子国)やインド、ペルシアの商人も中国に赴いたのである。陸のシルクロードは諸国の戦争でしばしば中
断を余儀なくされたのに対し、海のシルクロードを遮るものはなかった。
7世紀以降はペルシアの交通路を継承したイスラム商人(アラブ人、ペルシア人等の西アジア出身のイスラム教徒商人)が絹
を求めて大挙中国を訪れ、広州などに居留地を築く。中国のイスラム教徒居留地は黄巣の乱によって大打撃を受け、一時後退
したが、宋代になると再び中国各地に進出し、元代まで続いた。明は海禁政策を取り、朝貢貿易しか認めず、16世紀には喜望
峰経由でポルトガルが進出したため、イスラム商人の交易ルートは衰えた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
シルクロードの起点と終点につい勉強になりました。
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